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2006/11/25

釣鐘のような神

学生のころに好きだった司馬遼太郎著「竜馬がゆく」では、幕末の薩摩藩を代表して薩長同盟を結び、勝ち目のない西南の役で仲間のために命を投げ出した西郷隆盛を、「小さくたたけば小さく鳴り、大きくたたけば大きく鳴る」釣鐘のようだと書かれていました。先日の入門講座では、イエス様がそんな西郷隆盛のように感じられました。

入門講座では、水曜日の福音朗読箇所である「『ムナ』のたとえ」(ルカ19・11-27)には、「その言葉のゆえにお前を裁こう」という言葉が出てきます。このたとえは、以前ここでも紹介したタラントンのたとえと同じで、主人から預かったお金を増やした僕はほめられ、増やさなかった僕が怒られるお話です。神様の恵みを生かし、増やさなければいけないというお話ですが、この増やさなかった僕への言葉がよく分かりませんでした。

今回の入門講座では「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ8・48)と並べて説明されました。「『ムナ』のたとえ」で厳しい言葉をかけられた僕は、主人を怖い人だと思っていたので、「わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか」と言われたのです。

「『ムナ』のたとえ」の僕のように神さまを怖いと思えば厳しくなり、娘への救いを求めたヤイロのように万能だと思えば救ってくださいます。そして、遠藤周作の沈黙のように愛にあふれた方だと思えば愛をくださいます。厳しい状況におかれたときも、 自分の求める愛にあふれた神の姿を心に描き、祈り求めて生きたいと思いました。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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