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2006/11/06

隣人愛と幼児洗礼式

今日の福音朗読は「最も重要な掟」(マルコ12・28b-34)でした。「聖書と典礼」の要約に「あなたの神である主を愛しなさい。隣人を愛しなさい」とあるように、律法学者に問われ、キリストは、神を愛すること、そして

隣人を自分のように愛しなさい

と言われました。

この愛というのは、信仰の基本です。キリストの教えを聞いて、良い考えかただと思って洗礼を受けるのではなく、神の愛を信じて洗礼を受けるのです。

神さまが愛してくださるから、神を愛し、隣人を愛することができるのです。

このお説教を聴いて、高校の倫理社会で、イエスの博愛主義とかイエスの隣人愛とか習ったことを思い出しました。「アガペー」という無条件の愛で「エロス」とは対極をなすものです。当時は、人に優しくすることのようなイメージで捉えていました。

しかし、信仰に基づく愛は少し違いました。人に優しくするのは同じですが、先に神に愛されているのです。だから、神さまを愛し、人を愛することができる。そんな風に思います。

神様に言われたからでもなく、「情けは人のためならず、巡り巡って我がのため」でもなく、してもらったようにする、してほしいようにする、それがイエスの隣人愛だと思います。

でも、難しいですよね。親切のつもりがおせっかいだったり、かえっておせっかいじゃないかと思って親切にできなかったり、自分のことのように思って行動しても、感じ方は人それぞれですからね。

今日のミサは所属教会に関わるすべての死者の安息を求める意向で捧げられたためか、ミサ終了後に幼児洗礼式が行われました。この洗礼式だけは難しく考えることはありません。自分のことのように喜べば良いだけです。

水をかけられて、赤ちゃんは泣いていましたが、神父様によると人は生まれるときに泣くもので、泣いた瞬間に神に愛され愛するものとして生まれ変わったのでしょう。

隣人愛の実践は、なかなか難しいですが、かかわりのあった人に祈ることはできます。その祈りが、きっと隣人愛につながると思っています。

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司祭のマリア運動のチェナクルム
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投稿: | 2006/11/12 08:35

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