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2006/10/15

お金持ちより「心」持ち

ミサの福音朗読は「金持ちの男」(マルコ17-30)でした。十戒にある掟を守ってきた金持ちの男が、イエスさまに永遠の命を受け継ぐ方法を尋ねると、

「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」

と言われました。お金持ちはくさんの財産を持っていたので、この言葉に気を落として、悲しみながら立ち去りました。

わたしたちには難しいお話です。少ないとはいえ、財産を捨てて修道者にならなければ永遠の命を得られないのですから。そんな思いを抱いていると、神父さまが、これは家族愛を考えるとわかると言われました。

家族が病気になったとき、あなたはどうしますか?大事な家族だから、全財産を投げ打って、治療費を出すでしょう。結婚をしようと思ったとき、恋人のためならなんでもする、結婚できるなら何でも捨てると思ったでしょう。それが、愛にすべてを捧げる修道者の神への愛だそうです。

このような「愛」が弱くなったとき、我が出てきます。恋人のためと思っていた心はどこかにいって、自分の欲望のために生きてしまいます。家族に不満をもち、わがままを言います。そんな弱い心のわたしたちは、「心」持ちを目指すべきだそうです。

お金持ちになるには、お金を貯めなくてはなりません。なるべく使わずに、貯めようとします。一方、「心」持ちになるは愛を実践しなければなりません。心は使えば使うほど豊かになります。心を使い、愛を実践すして「心」持ちになること、それが永遠の命への道ということなのでしょう。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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