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2006/10/02

信徒による宣教 - 年間第26主日 B年 -

今日は小さき花の聖テレジア(リンク先はWikipedia)の記念日でもありました。 アヴィラの聖テレジア教会博士(大テレジア)と区別するために小テレジアとも呼ばれます(リンク先はこころのお散歩)。「祈りをもって宣教したテレジアは、宣教の保護者」(リンク先は聖人カレンダー)として知られています。

今日の第1朗読ではモーセが「主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ」(民数記11・29)と言い、第2朗読では、イエスの名を用いて悪霊を追い出しているものをやめさせようとした弟子に、イエスさまが「やめさせてはならない(中略)。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(マルコ9・39-40)と言われます。

福音書はこのあと、ちょっと恐ろしい表現が続きますが、宣教するものをつまづかせてはいけない、それだけ神の国はすばらしいという意味だそうです。まさに、小テレジアの日にふさわしい朗読ですね。

さて、去る9月29日で遠藤周作さんが帰天されて十年になったそうです。私がキリスト教に興味を持ったのは遠藤周作さんの「私のイエス」。そして、回心させられたのがおなじく「キリストの誕生」でした。わたしにとって、遠藤周作さんはまさに宣教師でした。

先週は色々なことがあり、とんでもなく忙しい一週間でした。いつもと変わりないミサでしたが、今日のミサでは「賛美と感謝を捧げましょう」のひと言が、まさに私の気持ちそのものでした。神をたたえ、恵みに感謝し、そして、遠藤周作さんに捧げました。

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