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2006/09/18

キリストを刻んではいけない

今日のミサはパウロ会の百村神父司式で行われました。
「皆さんはイエス様のことをほかの人に説明できますか?」という問いから始まったお説教は、パウロ会で言われている「キリストを刻んではいけない」との言葉からのものでした。

確かに、イエス様のお話をする際に、奇跡のこと、受難のこと、復活のことなど、部分的に捉えて話してしまいがちです。間違いなく伝えるためには、イエス様のことのすべてを伝えることは重要です。そして、その基本は「信条」(ニケア・コンスタンチノープル信条、使徒信条)にあります。

今日の福音朗読は「ペトロ、信仰を言い表す/イエス、死と復活を予告する」(マルコ8・27-35)でした。イエスさまを「メシアです」と言ったペトロは、その後にされた死と復活の予告を聞いてイエスさまをいさめました。

サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と叱られたイエスさまは「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われます。

メシアであると言ったペトロは、イエス様の行いやことばのすべてを受け入れたのではなく、キリストを刻み、イエスさまの一部を都合よく捉えていたと言うことなのでしょう。自分を捨てることは容易ではありませんが、心がけたいと思います。

今日のミサでは、70歳以上の方に、敬老の祝福がありました。1/3~1/4にあたる約60人ほどが前に出てこられ、高円寺教会の洗礼志願式を髣髴させるようなにぎやかな状況でした。祝福の前に、年長者は若い人を「自分たちの来た道」とし、若い人は「いつか自分たちもそうなる」とし、お互いに尊重すべしと、哲学者のことばを引用して述べられた神父様のことばを胸に、敬老のお祝いをしました。

(引用は日本聖書協会 新共同訳)

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