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2006/08/22

キリストの恵み

キリスト教は御利益(ごりやく)宗教ではありません。壺やお守りを買ったからといって願いがかなうわけではありません。

自分が幸せであると気づくこと、自分が傲慢であると気づくこと、それがキリスト教の恵みだと思います。

私の好きな「神がまずわたしたちを愛してくださった」(一ヨハネ4・19)言葉は、どんな苦境であっても、実はそれは幸せな状況であり、傲慢な自分の心が苦境だと思わせているかもしれないことを考えさせます。神に祈り続けたとき、本当の幸せが見えてくることもあります。

また、それは私たちが成長するために与えられた試練かもしれません。乗り越えられる試練だからこそ与えられているのかもしれません。すべてのこだわりや迷いをゆだねたときに安らぎが得られるのかもしれません。

こんな風に思うのは、私の信仰が強いからではありません。キリストが神かと聞かれたら、そう信じる、そう思いたい、とは言えても、間違いなくそうであるとは言えません。

でも、ひとつだけ確かなことは、人々を救おうとしたナザレのイエスは、人々にも、弟子にも裏切られましたが、恨み言のも言わず、人々のために祈って亡くなりました。

それは、愚かな行為かもしれません。逃げることも、言い逃れることもできたでしょう。でも、ちょっと考えてみてください。今感じている苦しみは、そんなに大きなものでしょうか?すべてを捨て誰かのために尽くしているでしょうか?

遠藤周作の「私のイエス」「イエスの生涯」は、惨めなイエスを描いています。本当の思いを理解されず、裏切られた人間イエスです。そして「キリストの誕生」では裏切った弟子たちの思いが描かれています。イエスの思いを理解せず、裏切ってしまった弟子たちの苦悩が描かれています。

愛を感じずに、自分の側からだけ考えて、怒り、悲しむことは、この弟子たちに似ています。私の思いは、そんなものではない、そうせざるを得ない、悪いのは私ではない、そう思うことは人間のサガです。でも、それがあるべき姿ではありません。

弟子たちは、イエスを失ってようやく気づきました。イエスが自分たちを愛してくださったこと、イエスの教えたかった愛が何であるか、自分たちはすでに幸せだったこと、抱いていた不満が傲慢であったこと。

そして、彼らはそれこそ神の愛であり、絶対的な愛を示してくださったイエスこそ、救世主キリストであると確信するようになりました。

どうしても怒りが抑えられないとき、人生がイヤになったとき、自分はなんとダメなんだと思ったとき、上記の遠藤周作の本を読んでみてはいかがでしょうか?

簡単に言ってしまうと、ポジティブに考えるということに過ぎないかもしれません。しかし、深い苦しみや悲しみに出会ったときは、絶対的な愛に出会うことが必要になると思います。それこそがキリストの恵みだと思います。

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遠藤 周作 イエスの生涯 生涯、とあるが、幼少の頃のイエスについてはほとんど触れられていない。 本書で書かれた生涯とは、30歳以降のイエスの生き様と死に様である。 だが、それは何の問題もない。 なぜなら、イエスの生涯のクライマックスは、言うまでもなくイエ... [続きを読む]

受信: 2006/09/11 20:34

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