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2006/08/04

畑の中の宝

勉強会で出てきた「天の国のたとえ」から

天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。(マタイ13・44)

神父さまは、畑と言うのは残された時間のことで、耕すことに苦労してもその中に宝、すなわち見えない事実を確信している、と言われました。(ヘブライ11・1-19)にあるように、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」で、アブラハムが息子を殺しても、神の言われることに何かあると思い、全てをかけたようなものであるとされました。

これを聞いていたある方は、神様は信じているが、マザーテレサ、宮城まり子、黒柳徹子さんのようには、なかなかなれないといわれました。

私は、宝とは信仰のきっかけになったもので、捨てたのはこれまでの(神を信じない)価値観だと思います。すでに宝を見出しているので、頑張れるのだと思いました。頑張るのは義務ではなく、やりたいからするもので、頑張り方は人それぞれだと思います。

いろいろな考え方があると思いますが、みなさんはどう思われますか?

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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