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2006/07/17

日ごとの糧を今日もお与えください。

今日のミサの福音朗読は「ナザレで受け入れられない」の後半(マルコ6・7-13)でした。イエスさまは、弟子たちを2人ずつ組にして宣教に遣わされました。

この二人組みは、証人となれるようにされたようです。伝え聞くところによると、シスターの方たちも昔は必ず二人で行動されていたようです。

ミサのお説教では、田舎で暮らしていた老夫婦の奥さんがなくなり、都会の長男のもとでに暮らす老人のお話でした。なれない都会暮らしでの不安や不満から、長男の嫁にきつく当たる生活だったようです。

しかし、このお嫁さんは不満を言わず尽くされたそうです。そして6年たったある日、老人は「あなたと同じ信仰が持ちたい」と洗礼を受けられたそうです。このお嫁さんのキリスト者としての行いが、老人への宣教になったというお話でした。

今日のミサでは、幼児洗礼式がありました。先週の堅信式と続いて、来月から別の教会に異動される主任司祭の8年3ヶ月続いた宣教活動の総仕上げのようです。そして、最後に私たちに託された言葉が「宣教は司教や司祭だけでなく、私たちキリスト者全員の勤めです」とのこと。福音宣教には色々な方法があると思いますが、キリスト者の行動こそ主任司祭が私たちに託された宣教活動なのでしょう。

幼児洗礼を受けた子供たちを思いながら主の祈りを祈りました。途中に出てくる

  わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

この言葉は、私たちの生活に必要なもの(衣食住)を与えてくださいと、自分だけでなく、世界の人々を思って祈る言葉です。しかし、今日はこの日ごとの糧が、生きる希望、生きがい、やりがいのある仕事、小さくとも輝く人生、と思って祈りました。

どうか、この子供たちに、すばらしい日ごとの糧をお与えください。そして、この子達が大人になったときには、より良い人生、より良い世界になっていますように、、、

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