« 聖書 その1 | トップページ | 神が信じられない方へ »

2006/07/28

神様との赤い糸

主任司祭の異動に伴い、9月まではお休みのはずだった入門講座ですが、担当の協力司祭にやりくりしていただけ、休みなしで継続されることになりました(実はお休みのつもりで、間を空けて更新していたので、バックログがたまってしまいました。ぼちぼち書いていきます)。

入門講座が神父様によってこんなに変わるとは思っていませんでした。これまでは、お祈りに始まって、講義形式の説明があり、お祈りで終わっていました。今回は、はじまってすぐに「聖歌を歌いましょうか」といわれ、「何が好きですか?」「この場は皆さんでお話しする場です」などなど。そう、先週までの学びの場は、分かち合いの場に変わりました。

あまりの違いに最初はついていけませんでしたが、それなりに楽しませていただきました。

最初に歌ったのは「いつくしみふかき」です。この歌は婚約者を3度も失った作者が、落ち込んでいる母親にあてた手紙を元にした詩です(詳しくは春夏秋冬あるふぁしおん日記に出ています)。この作者は最後には道端の溝で死んでいるのが見つかると言う不幸な人生を送られた方ですが、苦労の中で信仰を導き出されたようです。

この「いつくしみふかき」(カトリック聖歌集657)は、イエスさまは自分の重荷を取り去ってくださったことを歌っています。1番から順に

  1. 自分の心を伝え、イエス様に聞く
  2. 祈って慰められる人になりたい
  3. 祈りにこたえていたわってくれる

という構成になっています。このうち、2番で祈っていますが、信仰がなければ、祈っても安心できるものではありません。

また、歌詞に「友なるイエス」と出てきます。我々は僕(しもべ)ではなく、尊い方が友のようにいたわってくれる関係であると歌っています。

この関係は、小さい子と親の関係でもあります。子供のようにならないと天国に行けないといわれますが、神を信じて心配をしないようにならないと行けないということです。

日本の社会では「我」(が:わがまま)が増えていて、信仰することが難しい状況ですが、イエス様は全てを受け入れて下さるので、そのままでかまいません。

男と女が繋がれているように、神と人間も赤い糸でつながれているそうです。そして、罪を犯すと糸が切れるのですが、切れると神様がつないでくれます。人は何度も罪を犯して、つなぎなおされ、神様との距離がどんどん近くなるそうです。

このお話で、ほっとしました。このお話をうかがって、もう一度歌詞を読むと、2番のところが目に付きました。

いつくしみ深き 友なるイェスは
われらの弱きを 知りてあわれむ
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたまわん

去年、キリスト教を勉強しだしたころ、遠藤周作の「キリストの誕生」を読んで、自分の小ささに気づいた事を思い起こさせました。

さて、「いつくしみふかき」の一番に「などかはおろさぬ」とあります。この意味が誰もわからず、宿題になりました。インターネットで検索すると、よしだよりのコメントにこう書かれていました。

かは は 反語をあらわしています。助詞です。
なぜ おろさぬことがあろうか、いやない(おろすぞ)って感じですかね。

これで、次回も参加できます:-)

|

« 聖書 その1 | トップページ | 神が信じられない方へ »

コメント

「いつくしみふかき」は、私も好きな歌です。
 以前、四旬節に、所属教会で十字架の
道行を行いました。
その帰り道、ある二人連れに出会いました。
私は、歩道を自転車で走っていた、という
理由で、そのうちの一人に、杖で足を打たれました。
 私は、恥ずかしながら腹を立て、文句を言いました。確かに、私が悪かったけれど、
あなた方の交通の邪魔をしたわけではなし、
ちゃんとよけたのだから、そんなに強く打たなくてもよいではないか、と。
そのとき、見知らぬ方が、自転車で通りかかり、「(その人たちに)逆らってはいけません」といって、走り去りました。
私は、それ以上、文句を言うのをやめ、去りました。その見知らぬ人は、「いつくしみ深き」を歌っておられました。
 私が自転車を走らせていた道には、片側にプロテスタント、片側に私の所属教会がありました。その帰り、なんとなく私は、三浦綾子さんと、遠藤周作さんの作品についての評論が収められた本を買いました。
 なぜ、このことが妙に印象に残っていたかといいますと、杖で打たれた太ももに、あざができたこと、イエス様は、十字架でなくなった後、足を折られなかったが、それ以外の罪びとは、足を折られた、という記述を聖書で読んだためです。
 この出来事は、その後の、私の職業人としての姿勢に、主が、警告されたような気がします。(当時、私は、まだ看護学生でしたので)
・・それにしても、イエス様の友であり続けることは、難しいものですね。
一度、教会を離れた私にとって、赤い糸を切断した後のむなしさは、もう二度と味わいたくないものです。(時々、やりそうになりますが) 

投稿: たらちゃん | 2006/07/29 00:01

印象深いお話ありがとうございます。
「いつくしみふかき」は讃美歌にもなっていますのでプロテスタントの方かもしれませんね。
赤い糸のお話は、ある方が信仰に自身が内容に言われた際に、神父様が話されました。切っても切ってもつながれる糸を考えると、私たちが友でない、あるいは友と思ってもらえないと思っても、神様は友だと思って下さるのでしょうね。

投稿: さかば(管理者) | 2006/07/29 01:35

さかばさん、こんにちは♪
いつも読ませていただいていますよ^^

私の携帯の着信音は「いつくしみふかき」です。
それは特別好き、というわけでは無く、昔からなじみがあるので何となく、と言う感じだったのですが、こちらの記事を読んでとても好きな歌になりました。
また勉強になりました、ありがとうございました。

それから今回私のブログの記事からリンクさせていただきました。お暇があったらまた見に来てくださいね。さかばさんには特に見に来ていただきたいと思っています^^

投稿: deme | 2006/07/30 17:55

コメント&リンクありがとうございます。
夏休みに向けてW-ZERO3[es]とかいうマニアックなPHSでモバイル環境を構築していたので、お返事が遅れました。すみません。
聖歌の着メロと言うのも良いですね。リンクのほうはご主人の件ですね。RSSリーダに登録してますので、いつも見てますよ。あとでコメントさせていただきま~す。

投稿: さかば(管理者) | 2006/07/31 18:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138594/11128765

この記事へのトラックバック一覧です: 神様との赤い糸:

« 聖書 その1 | トップページ | 神が信じられない方へ »