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2006/07/02

命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない

今日のミサはヤイロの娘の話(マルコ5・21-24,35b-43)でした。神の輝きを受けたものという意味を持つヤイロは、娘の命を救ってもらおうとイエス・キリストにひれ伏します。すでにキリストの暗殺が計画されていたこのころ、会堂長であるヤイロがキリストに願い出ることは勇気の要る行為だったでしょう。

ヤイロの家から出てきた人々は「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすに及ばないでしょう」と丁寧な口ぶりではあるものの、遠まわしに関わりたくないと言います。

このあとキリストは、人々を外に出し「タリム、タム(少女よ、起きよ)」とヤイロの娘を生き返らされました。このお話は、神様が命を大事にされたお話です。

今日の第一朗読はプロテスタントでは正典とされていない知恵の書から「死は罪の結果/神を信じない者の人生観」(知恵1・13-15,2・23-24) が読まれました。「神が死を造られたわけではなく、/命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない」と命を与えられた神が死を作られたわけではなく。死を迎えたときも神の国に迎えてくださることが語られます。

先日、知り合いのお父様が亡くなられました。昨年、亡くなられる前に家族が集まられたそうです。死は喜びではありませんが、最期に家族と会えたことも恵みなのでしょう。

異端書に基づく映画「ダヴィンチ・コード」が話題になっていますが、それが死を善、生を悪とするグノーシス派の文書に基づくものだと理解されているのでしょうか?

心のともしび7月号に渡辺和子シスターの「"だいじょうぶ"の小石」というお話が載っていました。手術を迎える方や病気が治るか心配されている方に、角の取れた小さな"だいじょうぶ"と書かれた小石を渡される男性のお話です。

この小石は、手術が大丈夫でも、病気が大丈夫でもなく「私はこうなって欲しいんですけども、お任せします。どっちへ転んでも大丈夫なんです」という石だそうです。

命あるものの滅びを喜ばれない神は、死を迎えるときも我々のことを考えてくださるということなのでしょう。知人のお父様の安らかなお眠りをお祈り申し上げます。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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