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2006/06/02

神の啓示

自然崇拝」(知恵13・1-9)は2000年以上前に書かれています。「神を知らない人々は皆、生来むなしい」から始まるこの段落では、自然と神は似たものであるとされています。

人と同じように、天にある月、星、宇宙、鳥、魚、いろいろな動物は、その種類の多さ、美しさから、どうしてこんなにすばらしいものがあるのかと考えさせられます。

神のように思う太陽によって、稲、果物、野菜などが実ります。しかし、その太陽も造られたものに過ぎません。これらを造られた神はもっとすばらしいものです。

夜空の星だけでなく、地球を見ただけでも、人を見ただけでもすばらしい。作品がすばらしいほど、作者の方の偉大さを知り、自然と頭をたれざるを得ないでしょう。

造られたものの偉大さと美しさから推し量り、/それらを造った方を認めるはずなのだから」とあるように、昔の人も今の人も目に見えない神を、目に見ます。偉大な被造物を見て神を知ります。外観に心奪われるものを造った人はもっとすばらしいのです。

理性を使って、自然界から原因を究明し、推測します。天地万物の創造者である神の存在を。生活のを通して、自然法則のように因果律を通して神の存在を知るのです。

「カトリック教会のカテキズム」の2章には、このように自然を通して神を推測するのではなく、神から人に語られたり、行われたりすることである「啓示(天啓)」が書かれています。

人に出会っても、見るだけではある程度しかわかりません。語り、話されることでもっと良くわかります。

啓示とは、開いて示す、明らかにするという意味です。かばんの中身は外からではわからず、推測するしかありません。しかし、かけられたベールを取るように、かばんを開いたなら、中身まで良くわかるでしょう。

啓示とは、神様の正体を自分から語りかけてくださった内容で、その集大成が聖書です。啓示を聞いて受け入れることで、もっと神様のことを知ることができます。

語り合うこと、聞くこと、神様が言われたことを受け入れることが信仰です。人と同じように、神様も言葉と行いが一致していたから信頼できます。死や病気などの疑問を聞き、納得できることを受け入れていきます。

神は、アブラハム、イサク、ヤコブ、ノア、モーゼ、イザヤといった預言者(言葉を預かった人)を通して、人に言葉を伝えられました。

神様は人間に好意を持っている、愛して下さっているから、語られます。好意がなければ話されません。愛ゆえに、啓示だけでなく、空腹時にはパンを与える、のどが渇いたときには水を与える、といった行いもされました。

神は御子によって語られた」(ヘブライ1・1-4)にあるように、神は、山の中、夢の中など、多くの形で、預言者たちによって語られました。まず、選民であるイスラエル人に語られた後に、全人類に伝えられました。そして神そのものである御子キリストによって、我々に語られました。全てを明らかに語られ、、世界に伝えなさいと言われたのは、本当の愛ゆえです。今はわからなくても、後からわかることもあります。

ここで述べられた啓示は公的啓示です。預言者、キリスト、十二使徒が伝えられたことで終わりです。これ以降はルルドのマリアさまに会ったベルナデッタのような私的啓示になります。なお、私的啓示は教会を立てたり、泉を掘るなどのように明らかな教えです。祈りや黙想などによって気持ちが固まるような内面的なものは、「照らし」と呼びます。

勉強会を終えてから気づきましたが、キリスト教にとって神からの啓示(天啓)が12使徒で終わりであることは、他の宗教との違いを考えると非常に重要な点ですね。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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