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2006/06/07

心の中の神にたずねる-ある巡礼者の物語-

以前、FOOTPRINTS(もりえさん、元気ですか~)のコメントをされた方が、イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」が紹介されていました。いつか読もうと思っていたら、「ある巡礼者の物語-イグナチオ・デ・ロヨラ自叙伝-」を先に読むと理解が深まると、とある掲示板に書かれていたので、まずはこの本から読みました。

聖人というと最初から全てを悟っているようなイメージを持ってしまいますが、この本では、ある巡礼者(聖イグナチオ)がどのように成長し、「霊操」を完成させ、イエスの友の会(イエズス会)の立ち上げに至ったかを描いています。

貴族の子として生まれた聖イグナチオは、騎士として戦って重傷を負います。その病床で「キリストの生涯」と聖人伝を読んだことからキリスト教に目覚めます。そして、全てを捨てて清貧で苦行ともいえる巡礼を行います。

巡礼を始めた頃の聖イグナチオは運に任せて道を選びます。しかし、巡礼を続ける中でその思いが神による考えか、悪霊によるものであるかを見分けられるようになります。これを霊動の辨別と呼び、霊操の根幹のようです。

この本を読んだ印象では、霊動辨別は心の中の神の声を聞くようです。人には、迷い、ためらい、こだわり、思い込み、怠惰の念が生じます。また、物事を決定する際に、思いつきやそのときの思いで決めがちです。しかし、しっかりと物事を見つめて決定すべきです。そのときに行う黙想こそが、神にたずね、神の声を聞く、霊動辨別だと思いました。

この、聖イグナチオが巡礼した時代は、宗教改革の嵐がヨーロッパに吹き荒れていた時代です。物乞いをしつつ巡礼して人々に霊操を授ける行為は、当初は教会に反動的な行為と思われ、宗教裁判を何度も受けたようです。しかし、疑いをかけられるたびに霊操を説明し、正統な判決を得ながら巡礼を続けました。

その後、聖イグナチオは勉学に励み、神学を学んだ後に哲学博士、そして司祭になります。ローマ近くの小聖堂で「特別の訪れ」を神から受け、聖イグナチオとその同士はイエスの友として選ばれます。この経験からイグナチオ会ではなく、イエスの友の会(イエズス会)と名乗るようになります。そして彼らは、勉学の普及や、慈善、宣教活動に勤めました。

この本を読んでいると、その清貧の生活や苦行の数々に感心すると共に、とてもじゃないですが同じような聖人にはなれないと思わされます。しかし、聖イグナチオは、その苦行から得たことを、「霊操」としてまとめ、苦行を禁止し、多くの人にその恵みを分け与えました。

また、自分の心の中を冷静に見ることが重要あることを再認識させられました。そして、このブログでも紹介した柳田神父の記事を思い出しました。気になったので確認すると、やはり柳田神父はイエズス会司祭でした。聖イグナチオの偉大な功績は、今も生き続けていると実感させられました。

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