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2006/06/19

本来の意味を考えましょう

今日は「キリストの聖体の祭日」でした。「聖書と典礼」によると、「聖書と典礼」に福音書の最後の晩餐が載るのは、B年の今日だけ、つまり3年に一度しかないそうです。そういえば、聖体の制定を記念する聖木曜日は「弟子の足を洗う」(ヨハネ13・1-15)で、第二朗読の「主の晩餐の制定」(一コリント11・23-26)で触れられていただけでした。ミサの中で毎週出てくるので気がつきませんでした。

今日のミサの説教は、震災で被害を受けたカトリック住吉教会http://sumiyoshi.catholic.ne.jp/の献堂式での大司教のお話が紹介され、本来の意味を考えましょうというお話でした。

聖堂で人の声が聞こえる、挨拶は悪いことではないが、本来は祈って癒される場です。人が集まる場でなく、神と直接お話をする場である聖堂の意味を考えましょう、ご聖体についても同じように本来の意味を考えましょう。毎週のように聖体や御血をいただくことが、普通になっているかもしれませんが、非常にありがたいことです。

と言うことでした。

教会運営などにおいても、それぞれ良かれと思って色々な意見がでます。しかし、その本来の意味をきちんと議論することが重要なのでしょうね。

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