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2006/06/21

幼児の宗教的体験は、基本的には愛の体験である

枕元に落ちていた(?)江島正子著「モンテッソーリの宗教教育」という本からの引用です。この本は、幼児教育の観点だけでなく、モンテッソーリ教育を宗教教育の観点でも説明されています。

宗教教育に縁がなかったので、私学に行った学生さんがいやいや受けさせられる授業のイメージがああります。しかし、この本を読むと宗教教育は子どもの権利のように思えます。

モンテッソーリ女史は子どもも人として「原罪」をもつと考えました。子どもも先天的に悪への傾きを持つが、しかしいろいろの活動、作業、仕事をすることによって、原罪を克服できると考えたのです。

ここで書かれている「活動、作業、仕事」は、モンテッソーリ教育のことをさしています。子どもは不完全な大人のように考えたり、自由放任で遊ばせることが良いようにも考えられがちです。しかし、子どもが成長の中で特定の時期に特定のものに興味を持つ時期(これを敏感期という)があり、この敏感期に適した仕事を提供してやれば、子どもはその反復作業を通じて集中し、秩序正しい生活を送ります。

医者でもあるモンテッソーリは、子どもを観察するうちに、このような発見をしました。そして、さまざまな実証を経て科学的にまとめられたのが、モンテッソーリ教育です。

この本によれば、モンテッソーリは宗教教育にも同じように、敏感期があり、その時期に適した仕事を提供することで、愛の体験をし、落ち着いた謙虚な態度を示すようになるようです。

子どもの成長に愛が不可欠であることは誰も疑わないでしょう。こどもの求める愛情を十分に与えるために、神が必要になります。そして、それを子ども自身も感じているのでしょうね。

モンテッソーリは、四大文明の発生地に宗教遺跡があるように、有史以来人間は宗教的感性を内在しているとしています。宗教を求める気持ちは人間本来のものであるということなのでしょう。ちなみにモンテッソーリはカトリック信者ですが、インドではヒンズー教徒やイスラム教徒の団体に属する人々に宗教のコースを開いたことがあるそうです。

日本では、宗教教育はあまり重要でないように思われがちですが、ドイツヤオーストリアでは公立の小学校で義務教育の必須科目になっているようです。モンテッソーリ教育は宗教教育以外も、もちろん優れていますが、宗教教育を組み合わせると、子どもの心がより成長するように思いました。

(たぶん、つづく)

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