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2006/06/17

もはや他の啓示はない

啓示(天啓)は、神様が私たちに行ってくださった全てです。キリスト教は啓示宗教と呼ばれます。これは、断食や滝に打たれるような苦行宗教ではなく、神様が人間に語りかけ、行ってくださったこと、すなわち愛の証が宗教の基になっています。

悩んでいるとき、苦しんでいるとき、話を聞いてくれないなら、人はさびしく思います。手をさしのべてくれたなら、その好意をうれしく思います。神様が、語りかけ、行ってくださることは、うれしく、喜ばしく、ありがたいことです。

聖書に書かれた歴史的事実には、神様がどうしてそう言って下さったか、どうしてそう行ってくださったかがかかれています。神に感謝するという、人間の道が示されています。

「異邦人の救い」(ローマ11・17-24)には、選民であるイスラエルの民から、キリスト後は全人類に伝えられるようになったことが、接木として示されています。これは、「あなたたちのもとに救い主を送る」という神のメッセージとしても示されています。

旧約聖書には、イエス・キリストまでの啓示が書かれています。アダムとイヴのあと、BC(紀元前)2000年ごろアブラハム、イサク、ヤコブ、BC1200年ごろサムエル、ダビド、ソロモン、BC900年ごろエリア、BC800年ごろアムス、BC700年ごろイザヤ、ミカ、ヒゼキヤ、ヨシヤ、BC600年ごろエレミヤ、エゼキエル、BC500年ごろマラキ、ヨエル、マカバイ、といった預言者が神から受けた啓示が書かれています。

そして、救い主として神の御子であるキリストを遣わされました。キリストの言葉は新約聖書に書かれています。その中には、旧約聖書と同じ事を詳しく言われたことが多くあります。このような記述は、イスラエル人のために書かれたマタイの福音書に多くあります。

「神はご自分の民イスラエルを育てる」(カトリック教会のカテキズム・62-64)にあるように、旧約聖書の神様はイスラエルの民にマンナや水を与えられた、摂理の父です。神から離れたり、おきてを破り、神のそむくものは公正な裁きをうけます。そして、救い主を待つようにする約束が徐々に明らかになっていきます。

「神はみことばのうちにすべてを語られた」(同65)にあるように、聖母マリアを通して、神が生まれてくださいました。神は全啓示、すなわち、唯一の御言葉であるキリストです。そして、神ご自身が全てのことを明らかにしてくださいました。これまでおぼろげであったものが、もっと明らかになりました。キリストを知るものは神を知るのです。

啓示されてもわからないこともあります。しかし、それを受け入れるのが「信仰」です。受け入れることで、神と人が通じ合えます。信じなければ本当の出会いはありません。

人を疑っていたら会話が成り立ちません。同様に謙虚に聞いて受け入れることで、神様との出会いが生まれます。疑っていては、好意が無になってしまい舞います。

「もはや他の啓示はない」(同66-67)にあるように、キリストによって啓示が完結しました。キリストと12使徒のあとは啓示がなく、現在まで教会に導きをゆだねられました。そして、教導権によって、より明らかになりました。

教会から、別の啓示が発表されることはありません。啓示が分析され、明確になることはあっても、新しい啓示はありません。先祖には色々語られた神は、御子イエスによって全て語られたのです。

洗礼者ヨハネがメシアと尋ねたとき、キリストが聖書で明らかであると答えられました。そして、神の啓示はキリストで完結しました。なお、三位一体は旧約にはなくキリストが示されました。

啓示がキリストと十二使徒で終わったということは、三位一体と同様に、キリスト教とそれ以外を分けるものの一つです。たとえばイスラム教では、キリストは預言者の一人とされ、預言者であるマホメットが啓示を受けたとされます。啓示は新しいものが優先されるので、キリスト教とは別の宗教になっています。

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