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2006/05/21

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた

今日の福音朗読は「イエスはまことのぶどうの木」(ヨハネ15・9-17)でした。最期の晩餐のあと、キリストは遺言とでもいえるような掟として「互いに愛し合いなさい」と述べられました。

説教では、宗谷丸の沈没事故の際に救命胴衣が足りないので、未来のある若い人に自らの救命胴衣を脱いで渡した神父さま宣教師のお話をされました。そんな大きな愛でなくとも身近なところから愛の行為を行いなさい。そう言われていました。

このお話を聞いて、遠藤周作著「私にとって神とは」で曽野綾子著「奇跡」を引用して紹介されていた、コルベ神父のことを思い出していました。コルベ神父はアウシュビッツで飢餓室に入れられたひとの身代わりに「私は神父だから、女房も子供もない」と入られました。コルベ神父は祈りによって人の病気を治したと奇跡も報告されていますが、遠藤周作は「常人には到底できない」この身代わりになる愛の行為こそ奇跡だと言っています。

今日のミサでは、ショッキングな報告がありました。主任司祭の異動です。通常の時期にほぼ決まっていたそうですが、諸般の事情で確定が遅れ8月の異動になったとのこと。隣の教会の神父さまが兼任で主任司祭をしていただけるようです。今後のことも心配ではありますが、やはり、私を導き、洗礼を授けてくださった神父さまとお別れすることが、とてもさびしいです。

福音朗読の最初の言葉である「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた」は、神父さまの言葉のように聞こえました。

(引用は日本聖書協会 新共同訳)

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コメント

こんばんは
宗谷丸の沈没の際に、救命胴衣を譲られた・・というのは、カトリックの聖職者だったのですか?
 確か、三浦綾子さんの「氷点」の中に、
そんな描写があったような・・。
でも、綾子さんは、プロテスタントだったためか、「宣教師」としか、書いていなかったので、てっきりプロテスタントだとばっかり思っていましたが・・。
 綾子さんは、当初、その部分を入れるつもりがなく、夫の光世さんの勧めで、
入れた、というエピソードを聞き、
これこそ、主の思し召し、といたく感心、感動して読みました。
 もしそうなら、誇らしいことです。
コルベ神父さまについても、
カトリック信者として、誇りに思っております。これこそ、神は存在しない、という人に対して、神様の愛を示す、すばらしいエピソードではないでしょうか。
 ご存知かもしれませんが、ある神学生が、神学校を卒業する際、母親が、郷里に戻って、教区の司祭になってほしい、と頼んだとき、「お母さんの願いは大事にしなくてはいけません」とコルベ神父さまがいった、という話を本で読んだとき、マリア様(お母さん)を大事にする神父様らしい、と思いました。
 さかばさんは、家庭のお父さんとして、時々、いろんな思いをつづっておられますね。いつも、興味深く読ませていただいております。
余談ですが、父親孝行な聖女として、
シエナの聖カタリナという方をご存知でしょうか。
彼女の父親は、娘の聖性を認め、援助した
方でした。
聖ヨセフ様同様、家庭の父であられるさかばさんを、きっと、見守り、保護してくださると思います。(私も、ささやかですが、
お祈りしますね)
 これからも、心温まる文章を楽しみにしております。

投稿: たらちゃん | 2006/05/22 21:33

福音朗読に関係した記事をTBさせていただきます。
ところで,

>私を導き、洗礼を授けてくださった神父さまとお別れすることが、とてもさびしいです。

とのこと。
その気持ち,とても良くわかります。
私に洗礼を授けてくださった神父様は,
高齢となり,2年前に日本から去り,
祖国スペイン(多分,引退した司祭専用のレジデンス)に行ってしまいました。
私はそうでもないのですが,
(善し悪しは別にして)妻にとっては,神様の姿をこの神父様を通して見ていたところがありますから。
近い将来,家族でスペイン訪問を本気で考えているくらいです。

投稿: ct(Magis) | 2006/05/22 23:23

>たらちゃん
ご指摘ありがとうございます。
ちょっと自信が無かったのですが、検索すると
http://members.aol.com/emilbrunner/brunner/sub1.htm
にアメリカ宣教師リーバーさんとされていますね(上の記事には救命ボートの席とされていますが、確認が取れないので、とりあえずそのままにしました)。
コルベ神父、シエナの聖カタリナについて、教えていただいてありがとうございます。良い機会なので、調べてみたいと思います。

投稿: さかば(管理者) | 2006/05/23 00:55

>ct(Magis)さん
コメントありがとうございます。

> 神様の姿をこの神父様を通して見ていた

その感じはわかります。神様が見えていないときは、神父さまがおじさんに見えていましたが、神様がはっきり見えるにつれ、神父さまが大きく見えたように思います。

この別れが、神父さまにとっても信者にとっても良いものになるよう、良いものにできるように願っています。

投稿: さかば(管理者) | 2006/05/23 01:03

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私がreligion(=宗教)という単語を覚えたのは,大学受験勉強の頃だった。 [続きを読む]

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