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2006/05/08

全幅の信頼による祈り その1

勉強会は引き続き「祈り」でした。

汚れた霊に取りつかれた子をいやす」(マルコ9・14-29)には、てんかんの様な症状の子どもが出てきます。医学の進んでいない当時は悪霊に取り付かれたと考えられました。霊は子どもを殺そうとして火の中や、水の中に入れました。「おできになるなら」と言われ、「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」とキリストは言われます。そして、父親は「信仰のないわたしをお助けください」と言いました。

祈りには全幅の信頼が必要です。信じると言っても、信じていない、疑っているところが常にあります。遠藤周作は1%の信仰と99%の疑いと言ったそうです。

キリストは霊に取り付かれた子を癒されました。霊は出て行き、ひきつけを起こしました。人々は死んだと思いましたが、キリストが手を取ると立ち上がりました。そして、キリストは不信仰を悲しまれました。

百人隊長の僕をいやす」(マタイ8・5-13)では、百人の部下を持つ隊長、百人隊長(エルサレムから見ると異邦人)が部下が苦しんでいることを伝えます。キリストは「わたしが行って、いやしてあげよう」といわれますが、百人隊長は謙虚な気持ちから「あなたを(中略)お迎えできるような者ではありません」「ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」と言います。

イエス・キリストはユダヤ人よりも強い信仰を持っているとされます。それは、百人隊長も権威を持っているので、部下に行けといえば行き、来いといえば来る、ましてや髪の力を持つ方ならそうなるに違いないと考えたからです。

そして、全世界から人が集まり、天に行っている聖なるアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着くとき、ユダヤ人は追い出されるとまで、その信仰をほめられます。

「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」とキリストがいわれたとき、僕の病気はいやされました。

カナンの女の信仰」(マタイ15・21-28)にあるカナンとは、シドン、サレプタ、ティルス、フェニキアのあたりです。この隣の国からあの人ならと来た女は、娘を助けてもらおうと付きまといます。

すると弟子は「追い払ってください」と言います。 キリストがイスラエルの民にまず知らしめるために遣わされた旨を述べられます。しかし、「主よ、どうかお助けください」とこのチャンスを逃したらと言う重いからかさらに願ういます。

そこでイエスは「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」つまり、イスラエルの民のパンをイスラエル以外の人に与えてはいけない、順番があると言われます。

しかし、さらに女は「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と私たちのような民にも神さまは恵みを下さるはずだと言うと、主は「あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」といやされました。

あなたたちのことは知らない」(マタイ7・21)では、祈りの本質は「主よ、主よ」と言うだけでは足りない。御父の御旨(みこころ、希望されること)を行うことが大事だとされています。ミサに来ても、みこころを行わなければ神様は知らないと言われています。

「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ」(ルカ18・9-14)では、祈るときの心構えとして謙虚さが重要であることが述べられています。ファリサイ派の人は奪ったり、不正や姦通をしない立派な人間だと言います。そして「この徴税人のような者」と見下した言い方をします。

一方、徴税人は目を天に上げようともせず「罪人のわたしを憐れんでください」と言いました。主はこの徴税人を義とされ「へりくだる者は高められる」と言われました。

ミサでは「全能の神と兄弟の皆さんに告白します」とおゆるしくださいという気持ちをあらわします。そして「主よあわれみたまえ(クリステレイソン、キリステレイソン)」と言います。ごうまんな気持ちで祈りを捧げてはいけないという事です。

<つづく>

(引用は日本聖書協会 新共同訳)

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