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2006/05/15

羊のように導かれ、枝のように育つ

先週は羊は方向音痴なので、良き羊飼いの声によって導かれないといけないと言うお話でしたが、今週は「エスはまことのぶどうの木」(ヨハネ15・1-8)でした。

イエス・キリストがブドウの木であり、私たちが枝に例えられます。キリストにつながっていなければ、投げ捨てられ、枯れ、焼かてしまいますが、つながっていれば枝に樹液が流れて豊かに実を結びます。枝は自由に伸びますが、気と繋がることなしには実を結ばないのです。

さて、この枝のお話は、キリスト教らしいお話だと思います。羊飼いのように人を導くのは他の宗教の目的でもあります。しかし、宗教によって心の自由が得られるのは、キリスト教の特徴ではないでしょうか。

今日のミサでは、プロテスタントからカトリックへの受け入れ式がありました。信仰宣言のあと、堅信がありました。そして、主任司祭から皆さんに紹介されて、温かく迎えられました。

さて、この改宗された方の恩師であるカトリック浄水通教会のシスターが来られていました。そうラファエラ姉さんのブログで話題になっていた浄水通教会です。

キリストに繋がれた枝は自由ですが、お互いに触れ合いながら成長していくのかもしれませんね。

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