« Low hanging fruit | トップページ | 17世紀続く主の受難の祭儀 »

2006/04/14

自らをなきものにして、人々につくす

聖木曜日のミサの福音朗読は、「弟子の足を洗う」(ヨハネ13・1-15)でした。ご自分の運命を悟られていたイエス・キリストは、弟子たちの足を洗い、あなたたちもするようにと範を示されます。

聖木曜日は聖体拝領を定められた最後の晩餐を記念するものです。他の3福音書(マタイ・マルコ・ルカの共感福音書)と異なり、ヨハネの福音書には最後の晩餐の記述がありません。しかし、朗読箇所には最後の晩餐と同じ考えが含まれています。

当時、道路は舗装されておらず、汚い足を洗うのは奴隷の仕事でした。神でありながら、神として生きず、奴隷と同じことをする。これは、自らをなきものにして、つくすと言うことです。また、聖体拝領も、自らの体や血を人々に与える行為であり、自らをなきものにして人々につくすことです。そう、自ら十字架にかかり、人々の罪をあがなう行為と同じです。

そのような神を思いつつ、洗足式と聖体安置式が行われました。洗足式は子どもたちが神父様に足を洗っていただいていました。使徒たちのように彼らが教会の指導者になると良いですね。

聖体安置式は、御聖体を先頭に、歌を歌いながら行列しました。磔(はりつけ)のイエス様やマリヤ様に布がかけられ、御聖体も無くなり、聖堂はさびしくなりました。会館に安置された御聖体は、周りに花が飾られ、明かりが灯され、主の祈りのあと、聖母マリアの祈りを何度も唱えて、まるでお葬式のようでした。こうして、受難を悲しみ、復活を待ち望むのですね。

オリエンス宗教研究所の「聖週間の典礼 (会衆用) 聖なる過越の三日間」によると、聖なる過越の3日間は、もともとイースターの前に、エルサレムでイエスの足跡をたどりつつ祈りを捧げたことが起こりのようです。最初の頃は1日だったものが3日になり、それがエルサレム以外の土地のカトリック教会や東方教会に広がったようです。

明日はいよいよ聖金曜日・主の受難です。なんとか祭儀を捧げられたら良いのですが、仕事がどうなることやら、、、、

|

« Low hanging fruit | トップページ | 17世紀続く主の受難の祭儀 »

コメント

さかばさん、もうすぐですね。
今日のミサは両形態。ホスチアを御血に浸す両形体は一度ありましたが、カリスからいただく両形態は昨年の堅信式以来だったので緊張しました。
祭壇が空っぽになるとさびしいですね。
ドイツは聖金曜日は全土で休日です。
キリスト教国ですね。

さかばさん、お祈りしていますね!

投稿: michaela | 2006/04/14 08:09

はじめまして。。。
コメントを入れさせていただくのは初めてですがずっと読ませていただいていました。(もりえさんのブログから飛んできましたの)
実は私も1年半ほど前から教会で勉強を始めて明日洗礼を受けるのです♪。
さかばさんのこのブログでもたくさん勉強させていただきました。
どうもありがとうございます♪。
明日はとても楽しみなのですけど、ちょっと緊張しますね(^^ゞ。

投稿: ちーちゃ | 2006/04/14 17:25

>michaelaさん
コメント&お祈りありがとうございます。聖金曜日が休日と言うことは、祭儀は本来の時間である3時からですか?
こちらでは、仕事を終えてからの移動ですが、今日も何とか7時に間に合いました。聖週間は良いものですね。

投稿: さかば(管理者) | 2006/04/14 22:10

>ちーちゃさん
はじめての米とありがとうございます。いよいよ明日は、お互いに入信式ですね。
このブログは、勉強を始めた際に情報が少なくて困ったことから始めましたので、少しでもお役に立てたなら幸いです。
そうですね。洗礼は、やっとというか、いよいよと言うか、待ち遠しいですね。

投稿: さかば(管理者) | 2006/04/14 22:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138594/9581332

この記事へのトラックバック一覧です: 自らをなきものにして、人々につくす:

« Low hanging fruit | トップページ | 17世紀続く主の受難の祭儀 »