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2006/04/09

受難の主日(枝の主日)

Palm_leaf 今日は受難の主日(枝の主日)でした。入堂前に枝を受け取って集合しました。キリストのエルサレム入城の箇所「エルサレムに迎えられる」(マルコ11・1-10)の福音朗読があり、その後聖水の散水で祝福を受けたあと、「ダビドの子」を歌いながら聖堂に入りました。

映画「JESUS 奇蹟の生涯」でキリストに乗られたロバが可哀相でしたが、聖書には子ロバとされていたんですね。行列とはいっても歌いながらゾロゾロ入っただけですが、「偉大な生涯の物語」の入城で民衆が棕櫚(シュロ)の葉を道に敷き詰める様子を思い浮かべながら行列しました。

入堂すると雰囲気は一転します。十字架の磔のイエス様もマリア様も布がかけられていて、イエスさまは辱められます。「主の僕の忍耐」(イザヤ50・4-7)では、神に従ったイエス・キリストは「打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」のです。

そして、「キリストを模範とせよ」(フィリピ2・6-11)で、パウロは「人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と神の道を語ります。

最後の受難の朗読は、「ピラトから尋問される/死刑の判決を受ける/兵士から侮辱される/十字架につけられる/イエスの死」(マルコ15・1-39)を朗読者二人と神父様の3人で読まれます。これまで多くの奇跡を起こされたキリストが、惨めな人間として辱められ殺されます。

この運命を受け入れ、私たちの罪を償うために耐えられる姿こそ「愛」そのものでしょう。ミサでは、すすり泣く方もおられました。

エルサレム入城から受難が語られ、ついに最期のときが来ます。イエスが息を引き取られたときに神殿の垂れ幕が二つに裂けたあと、百人隊長は言います「本当に、この人は神の子だった。」

(引用は日本聖書協会 新共同訳)

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