« Fat Tuesday | トップページ | 心貧しき人は幸いである - おやじの会 - »

2006/03/04

赦しの秘蹟

勉強会は、引き続き「赦しの秘蹟」でした。赦しの秘蹟には4つの段階があります。

(1)究明
究明は心を調べることです。信仰者が信仰の道を歩むとき、赦しの秘蹟で罪は赦されます。しかし、心臓の弱い人は病が治っても心臓が弱いままであるように、罪が赦されたても罪を招いた心の弱いところはそのままです。同じクリスチャンであっても、一人一人の弱さが違い、罪も違います。自分の心が神に対してどのような罪を犯したかを考えます。

「ウリヤ妻のバド・シェバ」「ナタンの叱責」「ソロモンの誕生」(二サムエル11・1-12・24)ではダビデ王が、水浴びをしていたウリヤの妻を気に入って一夜を共にし、子供が宿りました。ダビデ王はウリヤの子にしてしまおうと、ウリヤを呼び戻しますが、ウリヤは戦場の主君を思い家に帰ろうとしません。酒を飲ませても家に帰りません。そこで、ダビデ王はウリヤを最前線に出して殺してしまいます。

預言者ナタンは子羊をかわいがっていた貧しい男に対し、豊かな男が自分の羊でなく貧しい男の子羊で振舞った話を出した話をします。ダビデ王は「死罪だ」「四倍の価を払うべきだ」といいます。ナタンは「それはあなただ」といいます。ナタンの話でダビデ王は究明し、非を認めました。ダビデ王がそうだったように、人のことはわかっても自分のことはわかりません。それを調べるのが究明です。

(2)痛悔
痛快は、信仰の観点で自分の罪を悔い改めることで、健康上や名誉など、この世的なものを単に悔やむこと、つまり後悔ではありません。痛快には、愛の観点、動機からくる「完全な痛悔」と、神の罰を恐れて自分の罪を悔い改める「不完全な痛快」があります。

(3)決心
2度としまいと思うことです。人間なので、また同じ罪を犯してしまうかもしれませんが、強く思うことが重要です。

(4)告白
告白は司祭の前で告白します。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(ヨハネ20・23)とあるように権威により不安を取り除き、神の赦しをいただいた安心感を得ます。人間は道を踏み外すものです。12使徒のさまざまな暴言、ペトロの裏切りに見られるように、キリストの弟子であってもその心は弱いものでした。告白ではどんな過ちかを具体的に言います。十戒にあるような罪の種類を具体的に、特に大きなものははっきりと何度罪を犯したかその数をいいます。ちいさな過ちは時々でもかまいません。そして、貧しいから、夫婦で腹が立ったなど事情を言います。

告白をすると償い(祈りが多い)が命じられ、赦しの言葉によって罪の赦しをいただきます。私の通う教会では、日曜のミサの前に告解室が「在室」になっていれば、神父様がおられます。告解室は伝統的に格子とカーテンで区切られているようです。平日でもあらかじめ電話しておけばよいそうです。なお、告解はどこの教会で受けても良いことになっています。

上記のうち、(1)(3)は神の前で赦しの秘蹟を受ける前の心の準備です。

犯罪を犯したときに兄弟が悲しむように、罪を犯したとき、神と本人だけでなく、共同体の兄弟を悲しませています。このため、ミサの中で「全能の神と兄弟の皆さんに告白します」と言います。この兄弟は、信仰共同体を指しています。

ダビデ王のように平素な顔でいてはいけません。なるべく早く告解をすべきです。カトリックでは年に一回は告解をするように言われています。小さな罪であっても神の心を裏切っています。罪を罪と思わなくなってしまわないようになるべく早く告解しましょう。復活祭前の四旬節は復活祭の準備として、回心と悔い改めの期間です。

司祭はその仕事から、説教師というほか、罪を聴くので聴罪師とも言います。言葉がわからなくても、自分の心から告解されていれば神の代理として赦しを与えられるそうです。

質問の時間に日本語でなくフランス語で告解してよいかとの質問が出ました。日本人が日本人神父にフランス語で告解するのはだめだそうです(そりゃそうでしょうね)。

(引用は日本聖書協会 新共同訳より)

|

« Fat Tuesday | トップページ | 心貧しき人は幸いである - おやじの会 - »

コメント

さかばさん、こんにちは。
いよいよ近づいてきましたね。
心を合わせてお祈りしています。

先日、初めての赦しの秘跡にあずかりました。
ずっと以前から繰り返してしまう事柄で、
今後も変われないだろうと思っていたので
告白するのがすごく嫌でした。
でも、声に出して・・すっきりしました。
この悩みを、今まで声に出したことがなかったのです。
「これからも変われない」と思っていましたが、
「変えるための一歩を踏み出そう」という勇気をいただきました。
これは思ってみなかったことなので感動しました。
人間には、変えようと思っても変えられない部分があり、
そういうところこそ、神様におゆだねしないといけないのだなぁと思いました。
勉強会の記事、丁寧に書いておられるので
いつも大変参考になります。

投稿: もりえ | 2006/03/05 11:53

コメントありがとうございます。
「決心」のところで、神父様の子供のころのお話をされていました。兄弟げんかをまたしてしまうとは思っても、2度としまいと、その時だけは強く思われたそうです。もりえさんの言われるように、そんな決意と前向きに生きる勇気を与えてくださるのが神様なのだと思います。

投稿: さかば(管理者) | 2006/03/05 14:25

カトリック信者ではありませんが、拝読してとても勉強になります。ブログ更新有り難うございます。

投稿: 彌佳慧 | 2012/12/31 00:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138594/8939398

この記事へのトラックバック一覧です: 赦しの秘蹟:

« Fat Tuesday | トップページ | 心貧しき人は幸いである - おやじの会 - »