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2006/03/16

神を信じる

以前、信じるという事を考えましたが、今回は「神を信じる」を考えてみます。

良くある質問で「神様がいると信じるか?」と言うのがありますね。普段なら、主の祈りのように天におられるとか、もう少し現実的に心の中にいると答えてしまいますが、文字通り擬人的に捕らえるなら、私の思いとはちょっと違います。イエス・キリストは「わたしはある」(ヨハネ8・58ほか)と言われたので、この問いは「神様は存在するか」と言うことになります。では、その神様は何かと言うと、キリスト教では父と子と聖霊の三位一体で神としていますので、そのような神です。これは定義なので変えようがありません。

では、「初めに、神は天地を創造された」(創世記1・1)神とはどんな存在なのでしょうね。よく、科学を追及していくと、どんどん神の存在が見えてくるような話を聞きます。いろんな物理法則がE=mc^2に収れんするような、科学の究極のようなもの。宇宙のはじめのビッグバンがなぜ起こったかと言う、世の物事から今の科学でわかっているものを差し引いた「残り」のようなもの、それが私の神のイメージです。これだと、定義のようなもので信じるとは言えませんね。

そこで、私が何を信じているかというと「神の救いを信じる」と言うものです。これは、信じるというよりも、すでに体感しています。自分の業に苦しめられ、周りの人が全て悪人のように見えていたとき、遠藤周作の「キリストの誕生」で、まさしく救われました。自分の目からしか見ることができないときに、キリストは求めるべき姿を示してくださいました。そして、自分で自分を追い込めてしまう状況からようやく抜け出せました。

さて、神の道に生きようとするとき、障害となるのが「全ては神の恵み」かどうかです。人生の中でめぐり合うさまざまな困難がありますが、それもまた神の恵みなのかと言うことです。さまざまな困難を神の与えた試練と考えて乗り切られる方もあるでしょう。でも試練を恵みとはなかなか思えないですよね。

私の考える神の救いの中で、もっとも大きなものは「価値観(あるいは視点)の転換」です。遠藤周作の「深い河」には以下のようなことが書かれています。

私が考えたのは・・・・・・仏教で言う善悪不二でして、人間のやる所業には絶対に正しいと言えることはない。逆にどんな悪行にも救いの種がひそんでいる。何ごとも善と悪とが背中合わせになっていて、それを刀で割ったように分けてはならぬ。分別してはならぬ。(中略)そんな地獄世界にも神の愛を見つけられる。

確かに、苦しいときであっても、あるとき、価値観の転換が生じれば、それを恵みと考えることができると思います。これは偉大なる救いの一つでしょう。しかし、この価値観の転換は、そうたやすくない。やはり、目の前の苦しいことを恵みだとはなかなか思えません。

そんな風に思うとき、遠藤周作の「沈黙」MAGISに紹介されていた足跡という詩にあるような、そばで共に苦しんでくれたり、わかってくれる神のあり方が思い浮かびます。一方的に願うのではなく、気持ちを神に語りかけ、最後にゆだねる神です。そうすることで、神の愛を感じることができます。

私のイメージする神は、科学で解き明かせない大きなうねりのような働きです。全体としては神の御心のままに動いていますが、細かなところまで全てを個々人の望みどおりにするにはできません。でも、神様はそれをご存知で、神の愛を示すために人の子(イエス・キリスト)を遣わされたと思っています。

結局、わたしは全てが神の恵みだと「すぐ」には思えません。まずは、すべてを神にゆだね、やさしく手を握っていただき、救っていただくことしかできません。そして、心に落ち着いてきたとき、それが恵みに変わっていくと思っています。それが私流の「神を信じる」ということです。

苦しかったり、悲しかったら、一人で頑張らず、神と語れば良い、神と泣けば良い、神がその愛で受け止めてくれます。そうすれば、徐々に安らぎが得られ、とるべき道がきっと見えてくると思います。

(聖書の引用は日本聖書協会・新共同訳を利用させていただきました)

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コメント

はじめまして。よんよんと申します。
遠藤周作の「キリストの誕生」「イエスの生涯」は私も読みました~。
洗礼をうけるずっと前に。
そして今も時々読み返してみます。
「本は行間を読むものだ」と遠藤先生はどこかで書いていらっしゃいましたが、
彼の作品も、聖書も、読むたびに新しく響くものがありますね。

投稿: よんよん | 2006/03/18 16:32

コメントありがとうございます。
遠藤周作の作品は、本当に奥深いですね。いたずらっ子な作者なので、どこに本心があるかわからないところがあって、それが読むたびに新しい発見を与えてくれるような気がします。

投稿: さかば(管理者) | 2006/03/18 23:17

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