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2006/02/20

価値観の転換

ミサの福音朗読は「中風の人をいやす」(マルコ2・1-12)でした。

公生活を始められ、悪霊に取りつかれたひと、多くの病人、重い皮膚病の人を治されたイエス様が、再びカファルナウムに戻れれると、大勢の人が集まりました。そこに中風(不随)の人が運ばれてきます。イエスさまはその人をいやされました。

このお話で、イエスさまは2段階の行動をとられています。まず、「あなたの罪は赦される」と言われ、神から見放されたように感じている人に「神があなたをゆるし、受け入れてくださっている」といわれます。そして、律法学者の「神を冒涜している」という思いに対し、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われると中風の人は出て行きました。

この最初の段階で示されているのは価値観の転換によるいやしです。人は自分の境遇を不幸だとなげいてしまいますが、神の恵みによって前向きに考えることができます。耐え難い状況を受け入れ、前向きに生きていくことが重要でしょう。

先日のシグニスセミナーの帰りに、「聖衣(Robe)」をDVDで見ました。この映画は、男女の愛、奴隷との友情、キリストへの信仰を描いたものです。後に皇帝となったカリギュラとの諍いからエルサレムに送られた主人公は、キリストの処刑を担当させられます。処刑後にキリストのローブを手に入れ、雨をよけようと体にかけたときから主人公は不思議な苦しみを感じ、この苦しみをきっかけとして、長く苦しんだ後にキリスト教に目覚めます。そこには、ローブの秘密を解いた奴隷との友情、カリギュラとの諍いにも関係する幼馴染との愛が絡み、格闘シーンやカリギュラに棄教を迫られるシーンなど迫力シーンが描かれています。

キリスト教的なシーンでは、イエスを知る人々の町(ナザレ?)にペトロが出てきます。途中でユストという信者がローマ軍に殺されますが、年齢的に聖ユスト殉教者ではないようです(よくある名前だったんでしょうね)。あと、主人公が信仰を深める時に、キリストを歌う足の不自由な女性が出てきます。この女性に、主人公が、なぜイエスは治してくれなかったかをたずねます。これに対し女性は、足が悪くても幸せであることを示すために私はいると答えます。

これこそ、神の愛を感じることによる「価値観の転換」だと思います。目の前にある現実は、信仰の有無により違いはないかもしれません。しかし、どんな人であっても神は見捨てず、愛してくれている。だから、この苦しい状況には必ず意味がある。そう思えることは大きな神の恵みだと思います。

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コメント

signisのセミナーでお会いできて嬉しかったです。
初対面でしたのに,さかばさんとは
とてもリラックスして話すことが出来ました。
『ネロ』のDVDありがとうございました。
休みの日に観させていただきます。
19日のミサ後に書いた記事をトラックバックします。

投稿: ct(MAGIS) | 2006/02/21 17:55

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» イエス・キリストは完全なコミュニケーター [マジス(MAGIS)]
昨日,ある司教様が「イエス・キリストは完全なcommunicator」であるとお [続きを読む]

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