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2006/02/20

然(しか)り

NHK連続テレビ小説「風のハルカ」の主人公ハルカは、婚約者に逃げられました。ハルカは子供のころを過ごした湯布院のお嫁さんになるのが夢でした。姑とも馬が合い、頼りないものの気が優しい温泉旅館の息子は、まさに理想の結婚相手でした。

しかし、元々夢を追いつつも、だめ息子だった彼には、旅館を継ぐことが苦痛だったようです。もちろん、逃げた彼が一番悪いのですが、ハルカは悲しみ、自分にも悪いところがあったかも知れないと苦しみます。

日曜日のミサの第二朗読は、「コリント訪問の延期」(Ⅱコリント1・18-22)でした。この中の『「然り」と同時に「否」』という言葉が、よくわかりませんでした。この章をはじめから読むと、人間的な考えによることで訪問が延期になったことだとわかりますが、どうもよくわかりませんでした。

彼に逃げられたハルカは、彼も悪いが、自分も悪い、なぜ、こうなったのだろうと苦しみます。これが、『「然り」と同時に「否」』であるような気がします。つまり、そうでもあるし、そうでもない、ただ悲しい現実がある、ということなのだと思います。

ハルカは、苦しみ、何も食べずに死んでしまおうとまで思います。しかし、悲しいかな、ハンバーグなど食事の夢ばかり見てしまいます。ハルカは部屋から出て冷蔵庫で食べ物を探します。探している間に、母と妹に見つかりました。母親は優しく言います「何か作ってあげましょう!」。身動きが取れないほど悲しいとき、最後に救ってくれたのは愛だったのです。

第2朗読の続きでは、イエス様のことをこう述べています(日本聖書教会、新共同訳)。

この方においては「然り」だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。

以前、3回ほど感想を書いた安岡章太郎氏と井上洋治神父の「我等なぜキリスト教徒となりし乎(か)」で、遠藤周作が「深い河」でキリストを玉ねぎとたとえたお話が出ていました。そのココロは「剥いても剥いても愛ばかり」とされていました。

母の愛がハルカにとっての「然り」であったと思います。しかし、母親とうまくいかないときもありました。母であっても人間である限り、ことごとく「然り」とはいきません。ことごとく「然り」であるとは、そんな神の愛のことも言っているのかな、とドラマを見て思いました。

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