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2006/01/15

キリシタン大名高山右近(その1)

ukon4 フーベルト・チーリスク「高山右近史話」を読み始めました。まだ、はじめの方ですが、高山右近はなかなか立派な人物のようです。

戦国時代のお話ですので、下克上の事件も当然のように起こります。右近は直接主君の荒木村重に忠誠のしるしとして、妹と長男を人質に差し出していました。この荒木が織田信長に謀反をはかりました。忠義の精神からするともちろん荒木に命を捧げるべきですが、キリスト者としては不正に加担できない。人質のこともあり、悩んだ末に荒木側につきます。

すると、信長は神父を人質にします。そのような状況下で、父親は荒木川につくべきだと命がけで訴え、城の中は信長戦に備えます。そこに、別の神父が信長との和平を訴えに来ます。武士として、父親としてはもちろん荒木側、世の正義、キリスト者としては信長側、その葛藤は大変なものだったと思います。

そこで、右近が出した決断は、家督を父に譲り、出家すると言う決断でした。もし、右近が信長に投稿すれば、父は自害し、名誉や領地も失い、欲望のために決断したと考えられるでしょう。逆に荒木側につけば、神父の命を失うことになる。すべての人の命を救う方法として、利害関係に縛られる右近自身が責任者から外れると言うものでした。

信長の陣にたどり着いた右近は歓迎され、秀吉に信長に使えるように勧められますが、剃髪して教会に奉仕するとこれを断ります。翌日、信長から石高倍増、人質救出の努力を約束されます。

「小事を捨て大事を扶くる」とされたこの事件は、右近の洗礼名である正義の人聖ユストに恥じない、良心に従う行いでした。「高山右近史話」はこのお話を「まさに聖書の精神にのっとって、人間よりも神に従うべし(使徒4・19)」であると締めくくっています。

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