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2006/01/18

慈悲の所作は十四あり-高山右近その4-

「高山右近史話」によると、高山右近は、当時キリシタンが暗唱していた教理箇条にある「慈悲の所作」を実践し、その領地は福祉国家だったとされています。

この「慈悲の所作」は、当時の教理書「どちりいな・きりしたん」によると以下の七つの肉体的慈善業と七つの精神的慈善業に分かれていたようです。

色身にあたる七のこと
一には、飢えたる者に食を与ゆること、
二には、渇したる者に物を飲ますること、
三には、膚をかくしかぬる者に衣類を与ゆること、
四には、病人をいたはり見舞うこと、
五には、行脚の者に宿を貸すこと、
六には、とらはれ人の身を請くること、
七には、死骸を納むること、これなり。

スピリッツ(精神)にあたる七のこと
一には、人には異見を加ゆること、
二には、無知なる者に道を教ゆること、
三には、悲みある者をなだむること
四には、折檻すべきものを折檻すること
五には、恥辱を堪忍すること
六には、ポロシモ(隣人)の不足を赦すこと
七には、生死の人と、また我に仇をなす者のために、デウス(神)を頼み奉ること、これなり。

高山右近(と父)は領地内で福祉政策を行いました。4人の慈悲役を置き、他国から来たキリシタンに、宿、食事、衣類を与え、貧しい人なら何日でも世話をしたようです。また、寒い日には新しい着物と古い着物を着込んで城内歩き、貧しくて寒い思いをしている部下に会ったなら新しい着物を与えていました。そして妻に以下のように言っていたようです。

「もし、あなた自身の霊魂とあなたの子供たちのために神の慈悲を望むならば、自ら慈悲の所作をやりなさい。もし、貧者のために施すものがなければ、屋根の瓦をはぎ取り、それを売って貧者を覆いなさい」

当時、死者を葬る場合、身分の低い人たちがそれを引き取って焼いていたようです。しかし、貧しい人が亡くなった際にも右近らは自ら棺を肩に載せて運び、貴賎男女のキリシタンと共に丁重に葬ったようです。

このほか、戦死者の子や未亡人にも気を配るなど、右近の領地は福祉国家といってよいものだったようです。

本能寺の変で、織田信長が死去し、政治不安から日本各地で暴民が起こり略奪・暴行がどこにでも見られたときでも、右近の領地では平穏無事で、誰一人暴行を働かなかったようです。これは、領民のほとんどがキリシタンであったほか、右近の善政と模範が、領民の生活を保証し、絶対的信頼を得ていたためであったようです。

宗教と政治が結びつくことは、両者の腐敗を生じやすいなど、必ずしも良い面ばかりではないと思います。しかし、高山右近に関しては、非常に良い面が表れていたとおもいます。

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コメント

 はじめまして。カトリックの求道中です。こちらではいろいろ勉強させていただいて
おります。
 摂津の国出身なので、高山右近は気になります。私の父方の家系は代々浄土真宗だと
思っていましたが、先祖にはキリシタンもいたことが十分考えられますね。
 これからもよろしくお願いします。

投稿: 月うさぎ | 2006/01/20 18:10

コメントありがとうございます。
私も一年前までは、関西にキリシタン大名が居たことすら知りませんでした。高山右近の文献によると、摂津はクリスチャンが多かったようですので、もしかするとそうだったかもしれませんね。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: さかば(管理者) | 2006/01/21 00:01

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