« 遠藤周作恐るべし | トップページ | キリシタン大名高山右近(その1) »

2006/01/13

聖霊の働き

勉強会は堅信の続きで「聖霊」でした。
堅信はキリストの子が力強く生きていくために行われるものです。竹の子が皮を落としながら伸びるように、社会に入って様々な困難に遭遇しながら大人に向かって成長していくのです。親の庇護から成人するように、自分で判断し行動することで信仰の心も大人になっていきます。そのために「堅信」で信仰をかためていただくのです。

最後の晩餐が行われた聖木曜日に聖香油は司教と司祭により、オリーブ油とバルサン(香料)から聖別されます。油は長持ち、広がりを意味します。聖霊の賜物が豊かに広がるので、これに答えて生きていくようにしましょう。そして、まわりに徳の芳香を漂わせる良き信仰者となる様に香料が使われます。油は腐敗やさびを防ぐ意味もあります。悪に染まらない、染められない、むしろ悪を取り除くようにという意味があります。

「聖霊の働き」(ヨハネ16・5-15)~「悲しみが喜びに変わる」(ヨハネ16・16-24)ではイエスがこれからのお話をされます。唯一の神は、人間の形でイエス・キリストをお遣わしになりましたが、キリストは父である神のもとに去っていきます。そして弟子たちが悲しみに暮れた後、神は弁護者である聖霊を送られます。聖霊により、罪(信じないこと)、義(父のもとに行き見えなくなること、つまり神である証明)、裁きについて(支配者の断罪)についてもっとよくわかるようになります(唯一の神はこのようなキリストと聖霊により、三位一体の神になります)。

真理の霊は、悟らせ、導いてくれることで、イエスの教えは血となり肉となります。これまでは、12人の弟子たちも良くわかっていませんでした。たとえば、ソマリヤで人々が聞かないとき、短気なヤコブは「火の雨を降らせてください」と言い、「滅ぼすためでなく、救うために来た」と言われました(これは99匹を置いて、いなくなった一匹の子羊を探すことと同じです)。また、竹を割ったような性格のペトロは、「たとえ皆が捨てても、命を捨てて従います」と言いましたが、皆と共に逃げ、3回も裏切り(否定し)、イエスが十字架を担いでも助けませんでした。このように弟子たちも、イエスの教えを理解していませんでした。このように人はなかなか聖人にはなれませんが、聖霊により大きな変化が生じます。

「聖霊が降る」(使徒2・1-13)~「ペトロの説教」(使徒2・14-42)は、聖霊が降ったお話です。イエスの復活から50日目五旬祭のとき、火が舌の形で降りました。当時の全世界の人々が集まっていたにもかかわらず、それぞれの生まれ故郷の言葉できこえます。そして、ペトロは勇気ある行動(説教)をとります。そう、弟子たちは変わったのです。ダビデの予言のように、律法を知らないもの(ピラト)にイエスを引き渡しましたが、イエスは復活しました。目に見えない聖霊に揺り動かされた人びとは「それではどうしたらよいのですか」と彼らも行動に出ます。そして洗礼を受けた3000人が仲間になりました。これこそ、聖霊なる神様のみわざです。

4月15日の洗礼後の堅信では、このような聖霊の働きによって、よりクリスチャンらしくなっていきます(きっと)。
--------------------------
「神の右」にと言う言葉が出てきました。前から気になっていたので、向かって右か、神の右手かを質問しました。(^_^; 神の右とは、傍(そば)、同等、同じ地位という意味だそうです。ただし、信者に対して言うときは「そば」と言う意味だそうです。

他にも「聖人」について質問がありました。聖人には二つの使い方があり、
1)明らかに天国に行ったと教会が認めた人
2)天国に行く人、神を信じて正しく生きる人
の2種類の使い方があるそうです。

|

« 遠藤周作恐るべし | トップページ | キリシタン大名高山右近(その1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138594/8139503

この記事へのトラックバック一覧です: 聖霊の働き:

« 遠藤周作恐るべし | トップページ | キリシタン大名高山右近(その1) »