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2006/01/06

求めるものは何でも得られる

カトリック高野(たかの)教会に行った際に「心のともしび」の1月号をいただきました。

この中の記事で「求めるものは何でも得られる」というお話がありました。幼児洗礼を授かった著者は「求めるものは何でも得られる」マタイ21・22)と祈ってこれらました。そして、息子さんが学校を辞めて音楽の道に進むと言われた時も、息子さんの考えが変わることを祈られました。しかし、祈りは届かず退学することに。しかし、退学願いを出した後、「だめだ、だめだ」といい続けたのが嘘のようにすがすがしい気持ちになったそうです。そのときに目を開かせ、親子のきずなを深めるというすばらしい形で祈りに答えてくださった神にいただいた恵みに、感謝の祈りを捧げられたそうです。

人は色々な願いをしますが、必ずしも本当の願いを理解していません。勝手な願いは神様に届きません。最も重要なことにつながる「何か」を与えてくださる事に気づくかどうか、それが、自己の開放を得られるかどうか、祈りを聞き入れてもらえるかどうか、の境界だと思います。

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