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2006/01/24

義人(ユスト)は永遠に記憶に残らん-高山右近その5-

「高山右近史話」はH. Cieslik神父が書かれており、高山右近のキリスト教的な生き様が詳しく書かれています。高山右近は洗礼名ユスト(Justo:義人、正義の人)にふさわしい一生でした。

正義に生きた高山右近キリスト教的福祉国家を樹立しましたが、その生涯において3度も財産よりもキリスト者であることを選びます。最初は信長を裏切らないため、2度目は秀吉の棄教の命令に従わないため、そして3度目は家康のキリシタン追放に従うためでした。

殉教の覚悟も3回しました。キリシタン禁令が出たとき、サン・フェリペ号没収事件(リンク先はWikipedia)のとき、そしてマニラに追放された際も殉教を覚悟します。右近はそれまでの戦(いくさ)での貢献や、キリシタンの大旦那といわれるほど大きな影響力を持つことから殺されませんでしたが、それは武士として国外追放という辱(はずかし)めを受けることになりました。

右近はこれらの判断の際にはキリスト者として如何にあるべきかだけを考えていたようです。追放されたマニラにおいても、国王級の歓迎をうけ、俸禄をキリスト者への愛として受け取るように言われましたが、右近は奉公することができないからと住むための家以外は望みませんでした。

マニラに到着して40日、1615年2月3日(5日あるいは4日という資料もある)、右近は熱病で亡くなります。帰天のニュースが町に広がると「一人の聖人が死んだ」「否、殉教者だ」と町は大騒ぎだったようです。盛大な葬儀をもってイエズス会聖堂に葬られます。葬儀の説教ではユスト高山右近の善徳と聖性について、「義人(ユストは)しゅろのごとく栄ゆ」(詩篇92・13) 、「義人(ユスト)は永遠に記憶に残らん」(詩篇112・6)、「義人(ユスト)に言え、汝はさいわいなり」(イザヤ3・10)と聖書を引用し語られたようです(引用場所は新共同訳にあわせました)。

平和な時代に生きているわたしたちでも、キリスト者として生きることは容易ではありません。戦国時代にキリスト者として生き抜いたユスト高山右近は、日々自らの業に苦しめられているわたしたちの、良き導き手であると言っても過言ではないと思います。

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