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2006/01/17

戦国時代とキリスト教の倫理観

ukon9 高山右近その3です。「高山右近史話」を読んでいると、当時、なぜ砂地に水を撒くようにキリスト教が普及していったを考えさせられます。

下克上の時代にあって、高山右近のキリスト教的判断基準は、当時の思考法とかなり違っていたようです。本能寺の変で、明智光秀が信長を倒したとき、高右近は明智光秀の配下にあったので、明智光秀は高山右近が従うものと思っていたようです。しかし、高山右近の正義感では、明智光秀は無道ものの暴君にしか見えなかったようです。

その判断のミスにより、山崎の戦に破れた明智光秀は、本拠地の滋賀県坂本に戻ろうとする中、救いを求めた農民に金品を狙われて殺されます。その場面を当時のフロイス神父は「異教徒がこのような際に時間があれば名誉のために通常行う切腹さえもなし得なかった」と書簡に残しています。

この一連の流れで、当時の倫理観がいかにキリスト教的な倫理観とかけ離れていたかが解ります。

  • 嘘偽りのないことでなく、立身出世が正義
  • 一般人が人を救うことよりも、他人ものを欲している
  • 命よりも名誉を重んじる

このような時代に、正しく生きることを導いてくれるキリスト教は、我々の想像を超えて輝いていたのではないでしょうか。高山右近はあまり強制をせず、自由な決心を尊重していたそうですが、10年間でに領地約3万人の3分の2以上にあたる2万5千人がクリスチャンになったのは、このような背景からではないかと思います。

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コメント

さかばさん
高山右近を読み始めたのですね。
僕は日本史が苦手で・・・。
さて,ブログMAGISを1週間ぶりに更新しました。
遠藤周作について,ほ~んの少し触れたので,
さかばさんの12日の「遠藤周作恐るべし」にトラックバックさせていただきました。
12日の,さかばさんの記事は,まったく同感です。
遠藤の懐の深さ,「何でもあり」を改めて認識しました。
大学生の頃,何度かキャンパスで遠藤を見かけました。だいたいブスッとして歩いていましたよ(^.^)。
講演会も2度聴きに行きました。
これは良かったですよ。
確か一度は『人生の中のX(エックス)』とかいう演題だったと思います。
良かったですよ~。
でも,かなりキリスト教的だったのと,
話し方の下手さで,始まってから5分以内で
どんどん人が退出していきました。
しかし,不思議なことに,それ以降は,約1時間半,残った人々は熱心に話に聴き入っていました。
ちょうど小説『スキャンダル』が出た頃です。
私にとっては宝石のような時代でした。

投稿: ct(MAGIS) | 2006/01/17 23:57

いつもコメント&トラックバックをありがとうございます。
遠藤周作のキリスト教の講演を聞かれたのですか!!すごくうらやましいです。私の記憶にある遠藤秀作と言えば、インスタントコーヒーのCMの狐狸庵先生だけです。まあ、色々な顔を持つ遠藤周作だからこそ、深みがあるのでしょうね。
私も歴史は日本も世界も苦手で、受け付けるのは司馬遼太郎ぐらいですが、あの時代にクリスチャンとして生き抜いた高山右近は、考えさせられるところがあって面白いですよ。

投稿: さかば(管理者) | 2006/01/18 01:12

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