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2005/11/02

信仰による自我の確立

ナウエン心の奥の愛の声の続きです。
自分の愛に限界を定めることで、他人の愛にも限界のあることが許容できるようになりました。そして、これまでの生活(古い国)から抜け出して神のもと(新しい国)へ向かいます。

この流れを私なりに考えてみました。

はじめに考えたことは、他人との間に距離を置いただけでは、自分の存在意義を確認できないので、孤独から逃れるために、神への信仰を利用するのかと 考えました。しかし、神との付き合い方は、すがるようなものではありません。認められたい、褒められたい、好意をもたれたい、といった動機や行動は、欲求 は増えるばかりで完全に満たされることはないからです。

神がすべてを満たす愛を与えてくださることを信じ、神の栄光のため行動すれば、心の中で神の平安を知り、そこから安らぎが得られるようになります。これは、孤独から逃れるというよりは、神のために生きることで、自分を見つけ出そうとしています。

ここで気づいたのは、この流れはアドラー心理学に似ています。アドラー心理学では、まず、現状を認識させて悪くならないようにします。つぎに、根本原因であるアイデンテイティを取り戻すために、現状でのプラス要素を見つけだして伸ばします。

アドラー心理学は問題行動を起こす児童などに用いられます。アドラー心理学は、友達、先生、家族などから、腐ったみかんのように扱われて、アイデン テイティを失った事が原因と考えます。そんな子供に対し、現状を冷静に認識させ、本人が問題行動を避けようととった対処法や、(問題となっていない)友 人、先生、家族の愛をプラス要素として考えて少しずつ伸ばしていきます。

しかし、社会人の場合にはうまくいくとは限りません。問題はある程度の対処を行った結果、より複雑になっています。しかも、友人であってもプライバ シーには踏み込めず、家族とも、複雑な関係、責任感、心配をかけられない、などから、深い迷路に迷い込んでしまっているからです。

そこで唯一頼れるのが、神なのかもしれません。放蕩息子の帰郷によればナウエンも幼いころから父と葛藤があったようです。そこにさら に積み重ねられた友情の破綻によって、深い迷路に迷いこんだようです。そこで、まず迷路を認識することで、さらに悪くなることを防ぎました。次にプラス要 素として唯一選べたのは、絶対的な愛を持つ神、という流れになっていると思います。

(まだ、1/3ぐらいですが、この程度ではまだまだ書きたりません。もっと深くて、良い話がたくさんあります。可能な範囲で書いていきますので、しばらくお付き合いください)。

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