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2005/11/20

羊か山羊か~深読み聖書と典礼~

今日のミサは「王であるキリスト」で、福音朗読は「人の子はその栄光の座につく、そして、すべての国の民をより分ける」(マタイ25・31-46)でした。

これは、「十人のおとめのたとえ」「タラントンのたとえ」に続く、マタイ福音書におけるイエスの最後の説教です。この説教は、神の決定的な裁きに対して、何が問われるかを明瞭に示しています。この説教で、イエスは弟子たちに言われました。

人の子が栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、栄光の座につく。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊(ひつじ)と山羊(やぎ)を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。

ここで(注)を読むと、第1朗読のエゼキエルの予言(エゼキエル34・11-12,15-17)とつながっています。ここでは、神が自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をすること、そして牧者のように、自分の羊を探し、救い出す。とされています。また、傷ついたものを包み、弱ったものを強くしますが、肥えたものと強いものを滅ぼすとされています。そして神はこういわれます「わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く」

ここで、右にいる、つまり救われるのは「飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいてたずねてくれた」という、愛の行為を行っていた人たちで、永遠の命を預かります。

この逆の行為をした左の呪われた人々は、神から離れ、永遠の火に入ります。(注)によると永遠の人は(マタイ18・8)にある「もし片方の手か足があなたをつまづかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても永遠の命にあずかる方が良い」とされる永遠の火です。

さて、(注)によると、たとえに出てくる羊と山羊は昼間は一緒に放牧していたが、夜になると分けられていたそうです。パレスチナでは羊は白く、山羊は黒いのが普通だそうです。白はWikipediaによると白は、黒との対比でしばしば「善」「純潔」「清廉」などのイメージを伴う事が多く、無実・無罪、あるいは、その人の俗語です。

もう一つ、右といえは「父の右に座したもう主よ」と言いますね、国語辞書によると「二つを比べてすぐれている方」です。Wikipediaによると「卜いや順位においては、左を低い方、右を高い方とする風習が古くから在る。これは、数や横文字において、低い方を左から書き始め、高くなるにつれて右へ遷る習慣に由来する」「アラブなどイスラム教を信仰する地域や、インドなどヒンズー教を信仰する地域では、左手は不浄の手とされ、食事に用いられない。」「日本では右より左が尊いものとされ、中国では左より右が尊いものとされていた。ゆえに日本では左大臣は右大臣より高位であり、中国では地位を下げることを左遷と表現した」とされています。日本が特殊で、一般に右が上位なのでしょうね。そういえば、英語では右は"right"で「正しい」の意味ですね。羊はこちらの意味でしょうね。

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