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2005/10/07

ひとりで生きる苦しさ

ヘンリ・ナウエンの「放蕩息子の帰郷」を読み始めました。この本は聖書を題材にした同名の絵画を見た作者が、人生を振り返って、自身の罪と神の愛を再認識するお話です。

聖書のお話は、親に財産の生前分与をさせ、その金で家を飛び出して散財し、その先に待っていたのは1文無しの豚以下の生活でした。食べ物に困り、ついに暖かい親を思い出し、息子であることを捨てて、労働者(奴隷)として雇ってもらおうと家に帰ります。帰ってきた息子は、死んできた息子が生き返りかえってきたと、父親に温かく迎えられます。これは、何があっても暖かく受け止めてくれる神の愛を示しているお話です。ナウエンは自身のことを、最初は弟(家出した息子)に当てはめ、次にひがむ兄と考え、最後に父に当てはめて、自身の生活に思いをめぐらします。

まだ、3分の1ほどしか読めていませんが、プロローグを過ぎると切実な告白が始まります。まずは弟の話からの思いを「どうしてあの人はわたしを傷つけ、わたしを拒みわたしを気遣ってくれないのかと思い煩う。それと意識しないうちに、他人の成功、孤独感、この世から自分は虐待されているのではないかという思いで、あれこれ気に病む。自分でも分かっていながら、金持ちになれたら、権力が手に入ったら、有名になれたらとよく夢想する」と述べています。これこそ罪ですよね。

さらに「わたしは、人から嫌われたり、非難されたり、のけ者にされたり、仲間はずれにされたり、無視されたり、迫害されたり、殺されたりするのをとても恐れている。そのため、自分を守る作戦を絶えず練って、それによって、自分に必要な、受けても当然と思える愛を確保しようとする」と述べています。これは、わたしが苦しんでいた状況であり、アドラー心理学で問題行動児がアイデンティティを確保できていないとする状況と同じです。

ナウエンはこれらを「自分が神(父)にとって大切な存在である」ことを確信できず、「父の家から離れ『遠い国(神から離れた世界)』に住むことを選ぶ」原因としています。

このような自分中心に生きる罪の苦しさから離れるには、「愛」が必要です。アドラー心理学では家族や学校に愛を求め、本人に自信を持たせます。宗教では神に愛を求め、神の愛を人に与えます。アドラーのいない2000年前にあってキリストは、人々が神のように子供や隣人に接することを求め、また、神の愛を隣人に与えることで、これらの苦しみから人々を救おうとしたのだと、考えさせられました。

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