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2005/10/25

神様にゆだねる

心のともしび通信講座「幸せのおとずれ」で気になった言葉その2「ゲッセネマの園」(マタイ26・30-46)より。

場面は最後の晩餐のあと、オリーブ山のふもとにあるゲッセネマの園でのことです。イエスは死を目前にして、神に祈ります。「父よ、できることなら、この杯(苦しみ)をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」これは三浦綾子道ありきにも出てくるお祈りで、幸せのおとずれによれば、「祈るときはいつも、自分が望んでいることよりも神様の御旨が行われるように勧められましたが、ゲッセネマの園でそのすばらしい模範をお示しになりました」とされています。

(実際問題として、すべての人が長生きを願って、それがかなうなら、とんでもない長寿大国になってしまからという解釈(冗談)は置いておいて、、、:-)

死に至るときでさえも、我を捨てて神様にゆだねることで、心に平安を保てるのですね。同じ場面でルカ22・43-44では「天使が天から現れて、イエスを力づけた」とあります。そして苦しみもだえながらイエスは祈るのです。ここは、後から加筆されたところですが、イエスの中で神による救いと苦しみのせめぎあいから、心の平安を取り戻す感じがよく出ていると思います。

ここで、どうすれば願いより御心が優先できるのかを考えておきたいと思います。イエスが十字架にかけられた際によんだとされる、詩篇22(あるいは22-31)編にヒントがあると思います。「わたしの神よ、なぜ私をおみすてになるのか」から始まるこの詩は、遠藤周作の本にもあるように、途中から神の賛美に変わります。この詩には、神への問い、信頼、願い、懇願、絶望、依頼、賛美、尊敬、祈り、確信、がうたわれています。

この複雑に苦しみながらも神の愛を確信するという詩は、神は単に絶対であるだけでなく、完全な愛を持っている、それを信じているからうたえると思います。形だけ祈るのではなく、神の愛への絶対的な信頼、それが根底にあるからこそ、神にゆだねられるのだと思います。

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