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2005/10/16

苦しみのイエス

今日のミサは、「皇帝のものは皇帝に神のものは神に」というお話です。
ローマ帝国に反感を抱く民衆の信頼を得つつあったイエスに対して、快く思わない人々(ファリサイ派、ヘロデ派)は、ローマ皇帝(を支持して)税を納めるべきかどうかを問います。イエスは悪意に気づいて、税金として収めるお金に皇帝の肖像が入っていることを確認させ、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」といわれたお話です。お説教は後半の神のものに注目し、神への感謝を忘れないことが重要であるとのことでした。

このお話を遠藤周作は、孤立するイエスの説明に使っています。神の愛を解くイエスに対し、民衆や弟子は、皇帝に反旗を翻すメシアであることを期待しており、体制派は処刑の口実を見つけるために様々な罠をかけるのです。今日のお話のようにイエスは罠を逃れつつも、神の愛を説き続けるのです。このころのイエスは、自らの説く神の愛・愛の神をわかってもらえず、精神的に孤立した苦しい時期を過ごします。このお話に出てくるイエスのことばも、弟子たちの心にイエスが復活するまでは理解されなかったのでしょうね。

このように、弟子たちに囲まれながらも孤立していたイエスは、弟子たちに裏切られ、最後には弟子を守るために十字架にかかります。そして弟子たちの罪の許しを神に請いながらなくなっていくのです。このように遠藤周作の描くイエスは苦しく、戦わない、情けないイエスです。この当時はイエスを理解できなかったも弟子たちが、イエスのをなくした悲しみに打ちひしがれるうちに、生前のイエスの考えが弟子の中で復活していきます。このようにしてイエスは、世界のキリスト(救世主)となっていくのです。

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