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2005/10/18

神の絶対性

キリスト教の倫理観を維持するには、まず神の絶対性が必要です。
これまでは、世界から科学でわかっているものを除いた残りを神と考えていました。これは現実社会を踏まえて理解を進める上で、悪くない定義だと思います。しかし、神を絶対だと考えることで、キリスト教的な倫理観が構成しやすくなります。

キリスト教における自由と平等は、神に与えられたものです。人にはおごりがあるので何でも自分でしているつもりになりがちですが、神に与えられたと認識することで、謙虚で他人を尊重するようになれます。民主主義的な、自由と平等は各々が意見を主張し、三権分立に見られるように、相手が悪さをしないようにけん制します。そこには、まず自分があり、キリストの言う愛(アガペー)は生まれにくい社会になります。もし、神の存在がないとすると、一人で生きていくために緊張が生まれ、他人よりも自分を大事にし、相手と共感することができなくなるので、知らない間に罪を犯してしまうのです。自分を中心に考えることが悪いとするならば、さらに上位で絶対的な存在を想定することが必要なのです。

また、神は万能で、愛の神であるとすることで、深いお考えの上でなされたことであるとして、運命を甘受できるようになります。神の愛と存在を否定するなら、現状を嘆き・悲しむことしかできませんが、愛を信じるのであれば、現状をポジティブに捉えて次のステップに進むことができます。少し前にTVで自閉症の特集をやっていました。子供の世話に疲れ果てたお母さんが、あるお話で救われたそうです。「子供が生まれる際に天使が神様に言います『この子は特別ですから、優しいお母さんのところにしてください』」このお母さんがクリスチャンかどうかはわかりませんが、神様の愛を認めているからこそ頑張れたんだと思います。

命や体に関してもそうです。自分のものだと思うからこそ、自殺したり、傷つけたりできるのです。深い愛によって命が授けられたと考えれば、もっと自分を大切にできると思います。

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